そこに山があるから

 じいさんばあさんが住んでいるところの紹介も兼ねて、筑北地方の名山の話をいたします。

四阿屋山

 年寄り夫婦が暮らすのは、数年前の町村合併で誕生した長野県東筑摩郡筑北村で、合併前に坂井村と呼ばれていたところの、そのまた山のなかである。ちなみに筆者もそこの住人である。

 筑北地方は、松本市長野市を結ぶ篠ノ井線のほぼ中間に広がる一地域であるが、長野県一、二の両地方都市の間にあるわりには、北信濃、安曇野、諏訪、伊那谷など信州の他の地方と比べると影が薄い。私も松本の高校に通っていたので、そのことが歯がゆかった。この地域の地方色とはなにか。私にもまだ、それはよくわからない。

 ではこの地域の山の話に入ろう。やまには名前のある山とそうでない山がある。山間の眼前に迫る山にはたいてい名はない。裏の山だとか、うちのまえの山だとか言われるぐらいだ。だが名前のある山は、やはりひとを惹きつける。信仰の対象にもなるはずである。

 筑北地方のそんな名のある山は、四阿屋山(アズマヤサン)、聖山冠着山(カムリキヤマ)、それと小県郡青木村との境に聳え立つ子檀嶺岳(コマユミダケ)だ。

 まずは一番大好きな四阿屋山(冒頭の画像)である。筆者は、この一月、長らく働いていた東京から実家に還ってきた。その戻る途中の、西条駅坂北駅の間の辺りの車窓から眺めた四阿屋山は、なぜか筆者をおおらかな心持ちにしてくれた。若い頃にもこんな感慨があったような気がしたが、想いだせない。

 次は字づらも語感も面白い冠着山。冠(カンムリ)を着したる山である。しかし冠着と言えば、山あいの冠着駅,冠着トンネルが私の持つイメージで、特に幼いころ、蒸気機関車で窓を開けたまま冠着トンネルに入り、煤まみれになったのを思い出す。
 冠着山は私にとってランドマークである。長野回りで帰省したときは、篠ノ井駅あたりで姨捨山(冠着山の別名)を見つけ、帰ってきたことを実感したものだ。
 下の画像の山が重なって見えるのが筑北村からの眺望。後ろの山が冠着山で冠にあたる。その下の写真は篠ノ井方面からの眺め。
冠着山
冠着山(姨捨山)
 
 もうひとつのランドマークは子檀嶺岳だ。上田駅あたりから見つけ出すことができる。この山の名前を知ったのは、ずっとあとになってで、幼いころは「カンジャ岳」と聞いていた。私は勝手に、敵方の様子を探る「間者」のいた山だと思い、眺めるたび忍者の躍動するを姿を夢想したものだ。けれど、どうも「間者」とは関係なく、スゲのヤシロと書く「菅社」らしい。
 下の2枚の写真は青木村の『道の駅あおき』からのものである。なにか難攻不落な砦をイメージさせる。やはり忍者と関係があるかも知れない? もし黒澤明が存命なら、この急峻な山のことを教えたかった。この砦をテーマに新たな戦国物を撮ってくれたかも知れない。また勝手な想像である。
子檀嶺岳 青木村『道の駅あおき』から
子檀嶺岳 青木村『道の駅あおき』とのツーショット
 「カンジャ岳」は、じいさんの家からは下のように見える。上の写真の反対側だ。頭だけ出し、こちらを窺がっているようだ。
子檀嶺岳 筑北村から

 もうひとつ、忘れてならないのは聖山である。が、聖高原としてある程度有名なので、ここでは割愛し写真だけにすることにした。けっして、筑北地方のもうひとつの村、麻績村にある山であるからではない。
聖山

 最後に、名山ではないが麻績村にある山を紹介したい。それは「なべやま」という。母の実家が麻績村なので、遊びに行った時よく眺めた山だ。次の写真のように、なべを逆さにしたように見える。どこかユーモラスで気に入っているのである。
なべやま

 さて結びである。いろいろ考えたが、それらは表現の違いであって、ひとこと「ふるさとの山々は永遠である!」とした。このように想いをはせたことは今までになかったのである。   平成22年4月

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