やっぱし「看護婦さん」だが・・・

 こたつ台の上には、けさ採れたばかりの山菜――山ウドたらの芽こしあぶらアブラボウ)が溢れんばかりである。ばあさんは、慣れた手つきで丈をそろえ、計量し、それらをパック詰めにしている。ばあさんの現場復帰だ。ばあさんは昨日、めでたく退院した。実はばあさんは、ひざの関節を悪くし、4月初めから松代総合病院に入院していたのである。

   ●採りたての山菜(左がこしあぶら、右が山ウド
山菜-採りたて

 筆者も何度か見舞いに行った。松代総合病院は新しい建物で、ばあさんの入院している階からは、なにかと有名な皆神山がよく眺められた。古代史ミステリーでも知る人ぞ知るスポットであることを、いつかちらっと雑誌でみた憶えがあった。真田一族も、それと関係があるのでは。ふと、そんなことを想った。

   ●松代総合病院から望む皆神山
皆神山

 病院へお見舞いに行き病棟に入ると、大抵、生あくびが出て気だるい感じになる。が、ばあさんの入院しているフロアでは、そんな感じはなかった。新しいことと、採光も程よいためと、なにより、そこで立ち働く看護婦さんだろう。みな若くてフレッシュで可愛い。ベテラン看護婦さんの醸し出す安定感のようなものはないが、小鳥たちのように仕事にいそしんでた。

 いまは看護婦さんのことを看護師と呼ぶらしい。筆者は、看護婦さんと呼ぶことにしているので、よく人からたしなめられる。そんなことも知らないのか、というような顔をするひともいる。だが、女優も俳優業でくくれるように、正式には男女共用の看護師だが、一般に使うときは「看護婦さん」でいいのではないかと私は考えるからである。「看護婦さん」という呼称には、多くの人の、それぞれの思い入れが込められているはずだ。薬剤師や何々師という呼称とは、ちょっと違う。そう思うが・・・。
 そういえば、同じ系列の篠ノ井総合病院では看護帽が廃止されたと聞く。どんな理由かは知らないが、これも寂しいことだ。

 しかし、こう言ってきてなんだが、ここの白衣のエンジェル達には「看護婦さん」は似合わないような気もする。「ナース」が今風でいいが、「ナースさん」と呼ぶのは、いまはまだ何か変だ。困った。

 エンジェル達にひとつ心配なことがある。ここには、ばあさんのようなお年寄りの患者が多く入院している。若い看護婦さんは、そんな患者が孤立感を持たないようにと親近感をもって接しておられる。心配事は、そのお年寄り達のために使う「ばあさん言葉」が彼女たちにうつってしまわないか、ということだ。
 フロアの入院患者用の洗濯室で、なかだかな顔だちの美人の看護婦さんが、お年寄りにあわせて「だわな」だったか「だわね」だったかと言っていたの聞いてしまって、そう思った。普通に話しているとき、それがでないことを祈る。まあ、そんな心配をよそに、仲間うちで「ばあさん言葉遊び」をしているのかも知れないが。

 ばあさんは、さっさとこしあぶらアブラボウ)のパック詰めを終え、山ウドの根を切りそろえ始めていた。菜切り包丁で押し切るたび、山奥の香りが匂い立った。ばあさんは、筆者の「なぜ看護師さんと呼ぶんだ」という論を黙って聞いていた。話し終えて私は少し昂ぶっていた。すると、ウドが切りにくいようで、ちょっと顔をゆがめ、包丁に力を込めながら言った。
「そんなこと言うもんじゃねぇだよ」
 ばあさんは、これで世間を渡ってきたのである。   平成22年5月

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